播州葡萄園の開設
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葡萄園池(印南)
明治政府が取り組んだ農業政策をまとめた「農務顛末」という歴史資料などから開園当時の様子を知ることが出来ます。
それによると、内務省の福羽逸人という人は、
1.外国葡萄(欧州産葡萄)の栽培実験をして
2.その適否と損益を実証し
3.その成果をひろく知らせること
を目的にした葡萄園の用地を探すように、明治13(1880)年2月に命令を受けて、22日には泉州でまとまった土地を持っていた五代友厚という人と交渉をしました。
しかし、うまくまとまらなかったので、印南新村の30町歩余りの畑を葡萄園の用地として買い上げたと報告しています。
そして、当時の加古郡印南新村(現在の稲美町印南)へ、内務省御雇の片寄俊という人が、2人の農夫を伴って東京から出向いて来たのが、120年前の明治13年(1880年)3月13日でした。
3月14日には苗樹を仮植えして、15日からは葡萄樹の支柱を建てて苗樹を植え始めています。この日は晴れでした。
そして、この日から4月5日までに28、556本の苗樹を、第一区として区画された約6町歩の畑に植えたと記録されています。
しかし、当時の母里村は、水利に乏しく、旱魃や主な生産品だった綿の栽培が外国産の綿の進出であまり振るわなかったり、明治6(1873)年からの地租改正の重税に苦しんでいたつらい時代であったという別の重要な記録が伝わっていることも忘れることが出来ません。そして、これらの苦難は、明治20(1887)年代以降の疏水事業の着工と完成まで続きました。
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